写真で見るわが町・若宮
2023年 02月 24日
犀川
富山県境の奈良岳に発し、金沢平野を貫流し、日本海にそそぐ全長41キロメートルの河川。
詩人・室生犀星がこよなく愛し、
「美しき川は流れたり
そのほとりに我は住みぬ」
と、詠んだ川。
若宮大橋
大豆田大橋の下流に架かる疋田・上荒屋線の一部。
平成6年4月架橋。全長180メートル、幅員20メートル。
犀川自転車道
犀川神社から健民海浜公園までの12キロメートル。
春、夏、秋の風情が楽しめる散策路。
若宮大橋交差点
観音堂・上辰巳線と疋田・上荒屋線が交わる交差点。
「若宮町」バス停の看板
加賀白山バスの「若宮町」バス停。
観音堂・上辰巳線の若宮大橋近くにある。
若宮中央公園
若宮第一土地区画整理事業の一環として、平成5年11月に完成。
金沢市の災害時避難場所に指定されている。
若宮会館
昭和56年3月に完成。
若宮町会と若宮新町会が共同で管理運営している。
若宮神社
昭和55年10月に改築。
総工費1億500万円という立派な神社。
神社の歴史は、「町名の由来」を参照して下さい。
金石街道
藩政時代は宮腰(みやのこし)往還と呼ばれた。
豪商・銭屋五兵衛で名高い宮腰湊(現金石港)と金沢城下を結ぶ重要な街道だった。
明治期には、馬車鉄道、その後は電車(北陸鉄道金石線)が走っていた。昭和46年、電車は廃止となった。
木曳川
藩政時代、宮腰湊から金沢城下へ木材を曳行したことから、木曳川(きびきがわ)と呼ばれた。
金沢城下を流れる大野庄用水と鞍月用水が深川町で合流し、木曳川となる。
川の下流には、木曳野小学校がある。上流に「木揚場(きあげば)」(現元菊町)がある。
示野街道
六枚町から若宮を経て、示野、専光寺に至る街道。県道上安原・昭和町線。
若宮町のほぼ中央を東西に横断している。示野街道の南側が若宮町会、北側が若宮新町会となっている。
加賀梨の産地
明和6年(1769年)、今から230年ほど前、北町に住む市左衛門という人が越後(今の新潟県)へ焼き物の行商に行った折、梨の苗木2~3本を持ち帰ったという。
その苗木を木曳川のほとりに植えたのが「加賀梨」の始まりで、嘉永4年(1851年)には、戸板地区で栽培農家169戸を数える大産地となった。
しかし、その後、戦後に至り、宅地化の波とともに、梨畑は急速に減少してきた。
戸板小学校
若宮町の東隣の二口町にある。
若宮新町会の子供たちがお世話になっている。
小学校のグラウンドでは、2年に1回、校下の社会体育大会が開催されている。
(※ 戸板小学校は、その後、平成25年4月、戸板1丁目に移転した。)
長田中学校
駅西本町5丁目(若宮新町会)の北隣の二宮町にある。
若宮新町会の子供たちがお世話になっている。
戸板公民館
若宮町の東隣の二口町にある。
戸板校下町会連合会の活動拠点。毎年秋には、文化祭が開催されている。
(※ 戸板公民館は、その後、平成27年10月、戸板1丁目に移転した。)
金石港
藩政時代、宮腰湊と呼ばれ、豪商・銭屋五兵衛の北前船が錨を下ろしていたという。
石川県銭屋五兵衛記念館
金石本町にある。
「海の百万石」といわれた豪商・銭屋五兵衛の往時の活躍をしのぶことができる。
白山・若宮八幡神社
白山市(旧松任市)若宮1丁目にある。
天正年間、今から約430年前、松任城の城主・鏑木氏が上杉謙信に攻められて敗れ、家臣一同が四散した。
その時、家臣の鏑木太平次という人がかの地に逃れて来て、農耕を営んだという。
太平次は、この地に神社がないのを遺憾に思い、自分の故地である松任の若宮八幡神社の名にちなんで、「若宮」と名付けたという。
大きく変貌する戸板地区
戸板第二土地区画整理事業の区域。
面積は約50ヘクタール。2010年完成予定。
国道8号線と観音堂・上辰巳線の交差点周辺に予定されている商業地区「戸板クローバーシティ」(仮称)には、イオンが進出することになっている。早ければ、2006年3月にも開業する予定といわれている。
この事業が完成すれば、戸板地区は大きく変貌する。
(追記)
戸板第二土地区画整理事業は、2015年(平成27年)に完工した。
この区域には、多くの住宅が立ち並び、2022年(令和4年)現在、その数は若宮新町会だけで、90数軒を数える。
新しく住宅が建つ戸板地区